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M&A契約におけるMAC条項
-契約後に財務状態等に重大な影響を及ぼす事由の発生-

MAC条項とは

MAC(Material Adverse Chang)とは、日本語にすると「重大な悪化」のことです。

株式譲渡契約に代表されるM&A契約では、契約締結日と契約の決済日(クロージング日)に一定の期間があることが多くあります。このようなタイムラグがあるために、その期間に、対象会社の財務状態や経営状態に重大な悪化や悪影響を及ぼす事由が発生するかもしれません。

そのような重大な事由が発生した場合、買主としては契約で定められた金額での株式売買は実行したくない、あるいはそもそも契約自体を取り止めたいということもあるでしょう。

M&A契約におけるMAC条項

そこで、M&A契約において、「本契約締結後クロージング日までの間に、対象会社の事業、財務状態、経営状態に重大な悪影響を及ぼす事由または事象が生じていないこと」を買主の義務履行の前提条件とする条項を設けることがあります。このような事由(MAC事由)が発生した場合に、買主が義務履行から免れることができるようにするのです。このような条項を実務ではMAC条項(またはMAE(Material Adverse Effect)条項)と呼んでいます。

このような「買主の義務履行の前提条件」というストレートな形ではなく、「直近の決算における基準日以降クロージング日までに対象会社の事業、財務状態、経営状態に重大な悪影響を及ぼす事由または事象が生じていないこと」を売主の表明保証の対象にするという例もあります(むしろこちらの方が多いかもしれません)。そのうえで、「売主の表明保証がクロージング時点において正確であること」をクロージングの前提条件としておき、MAC事由が発生したときは表明保証が正確ではなかったとして、買主が義務を履行しないことができるようにするわけです。これもMAC条項の一つといっていいと思います。

MAC事由の例外

上記のとおり、MAC条項は、買主が取引の中止を選択できるためのものであり、買主のための条項ということができます。一方、売主としては、せっかく契約したのですから、そのとおりに契約を実行してもらいたいのであって、MAC条項は望ましいものではないことになります。

そこで、M&A取引の交渉で、売主はMAC条項を入れるかどうか、入れざるを得ないとしてもMAC事由に該当しない例外事由を規定できないかを検討することもあります。英文のM&A契約の日本語訳を書籍で見ることができますが、一般的な経済情勢や政治情勢、対象会社の業界一般に影響を及ぼす事由、法令の変更、戦争やテロはMAC事由に該当しないなど、かなり詳細に例外を規定しているものもあるようです。

MAC事由の該当性

では、どのような場合にMAC事由に該当すると判断できるのでしょうか。「重大な影響を及ぼす事由」というのも数値化されているものではないので評価の問題となりますし、買主にオールマイティの取引中止カードを握らせていいのかという取引の公平性もその評価に影響を与えそうです。

実はMAC条項について争われた裁判例は刊行物を見る限りほとんどなく、東京地裁平成22年3月8日判決が関連する裁判例としてあるくらいです。

この事案は、株式譲渡契約締結とクロージングが同時(平成20年11月1日)であり、上記のようにタイムラグがあるものではなかったのですが、株式譲渡契約には「平成19年9月30日以後、対象会社の財政状態に悪影響を及ぼす重要な事実が生じていないこと」という売主の表明保証があり、買主が表明保証違反であるとして株式譲渡契約を解除し、株式売買代金返還を求めたものです。

買主は、MAC事由として、①株価算定の前提となった事業計画での平成20年9月期の営業利益の予測(マイナス1580万円)が実績(マイナス5420万円)と著しく乖離したこと、②株価算定の前提となった対象会社の土地の価格(10億9000万円)が大幅に下落した(4億7900万円)こと、③4億円を超える価値を有する無形固定資産が実際にはなかったこと、④4000万円を超える退職金引当不足があったことを主張していました。

裁判所は、①の点については、「買主は平成20年9月期の営業利益の数値をいうだけで、影響を及ぼす具体的な事実を主張できていない」、「減価償却費の増加を考えると平成19年9月期と比較し営業利益は減少していない」、「事業計画における営業利益の数値はあくまで予測ないし計画にすぎない」などとして、MAC事由に該当しないとしました。また、②の点については「社会的な不動産市況の下落というような対象会社の資産に固定に生じるものではない一般的普遍的な事象については、表明保証の対象となり解除の原因になるというものではない」として、やはりMAC事由に該当しないとしました。③、④についても「特許の通常実施権の再実施許諾を受けており、その権利内容が変更されるなどの事実が生じたわけではない」、「もともと従業員全員が退職することを前提とした退職金総額を引当金として計上していたものではない」として、MAC事由に該当しないとしました。

裁判所は契約当事者の公平を念頭に、「財政状態に悪影響を及ぼす重要な事実」を限定的に解釈したものといえると思います。

実務の視点

前述した裁判例は当該事例における判断ですから、単純に一般化することはできません。しかし、「計画数値は予測にすぎない」、「一般的普遍的な事象についてはMAC事由にはならない」というのは示唆に富んでいるように思います。少なくともMAC条項さえ入れておけば、買主が相当な裁量をもって取引を実行するかどうかの判断が可能になるというほど単純ではないということはいえそうです。

そうであればMAC条項を数値化するなどして争いが生じないようにすればいいという考え方もあるでしょう。もちろんMAC事由を数値化できるのであればそれに越したことはありません。しかし、もともとMAC条項は契約締結時点では想定できないことに備えてのものですから自ずと抽象的にならざるを得ないものです。

このようにみると買主としてはMAC条項はあくまで極めて例外的な事象に対応するものと位置づけ、契約前のデューディリジェンスを充実させたうえ、リスクを株式譲渡価格に織り込むことこそが肝要かと思います。

R02.12掲載

※掲載時点での法律を前提に、記事は作成されております。