中小企業の法律相談
福岡の弁護士、近江法律事務所が提供している法律コラムです。
認知症に罹患している高齢者の法律問題
はじめに
認知症に罹患している高齢者の法律問題といっても、例えば、遺言の問題、資産管理の問題、詐欺商法の被害など様々ありますが、今回は、高齢者の行なった不動産売買を巡るトラブル事例についてお話ししたいと思います。
事案の概要
X男は87歳。更地の時価6600万円の土地につき元妻Y女と各々2分の1の持分を所有していました。ところが、X男は、Y女に黙って、平成26年10月、同土地の2分の1の自己所有の持分のみを2250万円でZに売却する契約書にサインしました。売買代金はいったんX男の銀行口座に入金されましたが、なぜか即時にX男は2100万円を引き下ろしており、しかも、同金員はX男の知らないうちに銀行内で何者かに持ち去られてしまうという不可解な出来事がありました。実は、X男には、2年前から精神能力が十分でないことが疑われていました。そうしたところ、Y女は、買受人Zから、Y女の所有する2分の1の持分を譲渡するよう要求され、それを断ると、裁判を起こされました(実際にあった事件を元に事実関係を簡略化しています)。このままでは、X男やY女は土地を失ってしまいます。X男やY女を救う道はあるでしょうか。
Zから起こされた裁判
Q. Zから起こされた裁判の中身はどのようなものですか?
A. 本件土地はZとY女の共有となっています。共有者は、共有関係の解消を求めたい場合、他の共有者との協議がうまくいかないときは、裁判に訴えることができるのです(この訴訟を「共有物分割請求訴訟」といいます)。裁判所は競売を命じるなどします。
Q. 競売になるとどうなるのですか?
A. 最高値で入札した者がその土地の所有権を取得し、Yは、落札代金のうち2分の1を受け取る反面、持分を失うことになります。
Q. 共有持分を取得しても、他の共有者がいる以上、自分の思うようにならないのだから、Zは、どういうつもりで共有持分を取得したのか不思議に思われたのですが、今の説明でわかりました。
A.通常、売買で持分を買い取るなどということはまずありません。普通の不動産売買契約とは言えず「共有物分割請求」まで見越した計画があったことが推測されます。
XZ間の契約は有効か?
Q. さて、Xは、2年前から精神能力が十分でないことが疑われていた、ということです。そもそもXZ間の売買契約は有効なのでしょうか。
A. 意思能力がないと認められれば、契約は無効ということになります。その結果、Zは共有持分を取得していないこととなり、共有物分割請求の訴訟はできないということになるので、Zは敗訴することになります。
意思能力とその判断基準
Q. 意思能力とは何ですか?
A. 意思能力とは、自己の行為の法的結果を認識・判断することができる能力をいいます。
Q. どの程度の精神能力なのですか?
A. 7歳から10歳の子どもの判断能力であると言われています。
Q. 意思能力の有無の判断に基準はあるのですか?
A. 画一的な判断基準はありません。
Q. では、意思能力の有無はどのようにして判断されるのですか?
A. 裁判実務では、医学上の所見を参考にして、精神上の障害の存否・程度を認定し、行為者の年齢・行為時及びその前後の状況、行為に至る経緯、行為の内容、行為の効果の軽重を検討し、ケース毎に判断しています。
医学上の所見
Q. 医学上の所見とは、医師の診断書のことですか?
A. そうです。但し、争いが生じた場合は、診断書のみならず、カルテ、投薬の内容・期間、介護記録、介護認定の際の資料等、あらゆる資料を元に、裁判官が認定することになります。その結果、例えば主治医が意思能力はなかったと判断しても、裁判では意思能力があったと認める場合もありますし、その逆の場合もあります。
Q. 医師は、診断にあたってどのような検査をするのですか?
A. よく実施されているのは、MMSE(ミニメンタルステート検査)やHSD‐R(長谷川式簡易知能評価スケール)と言われる検査です。MMSEは、30点満点で、24点以上で正常、20点未満10点以上で中等度の知能低下、10点未満で高度の知能低下とされます。HSD‐Rは、20点以下だと認知症が疑われる、とされています。
Q. MMSEで何点であれば意思能力はないとされるのですか?
A. 一概に言えません。10点未満であれば意思能力はないといってよいでしょうが、20点前後であれば微妙になります。一方、成年後見の例ですが、25点で「後見」相当(つまり、事理弁識能力を常に欠いている状況にあるということで、意思能力がないこと)という事例も報告されています。
Q. 本件ではどうだったのですか?
A. 事件の2年前の検査では、Xは、MMSEは13点、HSD‐Rは15点でした。
裁判所の判断
Q. では、意思能力はなかったのですね。
A. そう簡単ではありませんでした。一審の裁判所はXの意思能力を認めたのです。
Q. えっ。どういう事情からですか?
A. 裁判所は、検査当時、Xに発熱があったり、施設への入所があったりして生活環境が目まぐるしく変化したことから精神能力が一時的に悪化したという事情が疑われ、契約当時に意思能力がなかったと認めるに足りる証拠はない、と判断したのです。
Q. 高裁ではどうだったのですか?
A. 高裁は、医師を尋問しまた介護記録などを詳細に検討して、Xは、認知症に罹患しており、契約当時意思能力はなかったと判断しました。
Q. 医学的所見のほか考慮された事情はあったのですか?
A. Xは売買代金を持ち逃げされているのに警察に被害届を出すわけでもなく、被害後に、司法書士に対し、所有権移転登記手続きに必要な書類を渡すなど、代金確保のための合理的な行動をとっていないことを指摘しました。
Q. 結論はどうなりましたか?
A. 高裁は、Xは、自己所有の不動産を売却することについてその意味や効果を正確に認識する能力に欠けていたと認め、本件売買契約は無効と判断し、最高裁でも維持されました。
教訓
理不尽な被害に遭ったときは、専門家に相談するのが有効です。
H27.5掲載